ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

僕とマツダ

 僕はマツダ車に憧れを抱いていた。僕は奥田民生さんが好きで、彼が広島愛、マツダ愛をインタビューで語っていた。彼のドキュメンタリーがNHK で放送され、青いオンボロのステーションワゴンが出ていた。オンボロだけど音響にはかなり拘り、本体よりも遥かにお金をかけているらしかった。その旧式でオンボロのクルマがとてもカッコ良かった。

 自分が運転するときは基本的に一人が多い。だから大きいクルマはいらない。コンパクトカーで充分だった。それは今でも変わらない。たまたま見かけたベリーサというクルマに興味が湧いた。コンセプトは「上質」。コンパクトカーであるデミオの車体を利用して、マツダの考える「上質」を表現している。乗っていて快適なクルマだ。

 一度、新車で見積もりを出してもらったことがある。「上質」というだけあってコンパクトカーとしては高めの金額だった。一度は諦めたが、チャンスというものは突然訪れる。仕事の送迎中、いつも通る道にマツダのディーラーがあり、そこにワイン・レッドの中古のベリーサが展示してあった。気になり、休みの日にディーラーを訪ねてみると走行距離の少ない、状態の良いクルマだった。ただ、年式は古く車検代などを考えてみると、正直迷った。色も悪くはなかったが、希望する色ではなかった。船橋のほうでもお客さんが検討中だった事もあり、迷った末、買うことに決めた。

 値段も一括で出せる金額だったのも大きかった。色も最初は気になったが、だんだんワイン・レッドの色味も渋く、気に入ってきた。年式は古かったが、そのおかげで安く手に入れることが出来たから良かった。それまでは親のお下がりのクルマに乗っていたから、初めての自分のクルマになった。乗っていて思ったことは「乗りやすい」という事だ。マツダの掲げる「人馬一体」を体感した。引っ越しを機に、母親に譲ってしまったが、たまに乗ると「こいつもいいなあ〜」と感じる。もちろん今乗っているマツダのCX-3 に全く不満はないが、ベリーサには古き良さを感じる。街でベリーサを見かけると嬉しくなる。

 去年の冬にベリーサは生産中止になってしまった。後継機種として出ているのが、僕が今乗っているCX-3 だ。コンパクトなSUV だが、どこがベリーサを思い出させる「上質さ」がある。クルマというものは不思議だ。作り手、売り手、乗り手、の味がどこからともなく出てくる。今のクルマを大切に乗って、たまには掃除してやろう、そんな気分にさせてくれる。

 

僕と古着と古着屋

 90年代、スニーカーとヴィンテージ・ジーンズの大ブームがあった。ちょうど僕が高校生の頃だ。通学の乗り換え駅に千葉県の柏市があり、そこはそんなブームの真っただ中にあった街だ。当時「裏カシ」という言葉があり、柏の裏路地にある古着屋や雑貨屋の事を指していた。メジャーなファッション雑誌にもこの言葉が使われ、柏は「若者の街」として広く知れ渡っていた。駅前にはストリート・ミュージシャンも数多くいて、夜になると決まって路上ライブが開かれていた。「エア・マックス狩り」なる、スニーカーにプレミア価格が付き、換金目的でヤンキーやチーマーによるスニーカーの盗難事件が相次いだ。

 クラスメートにもやはりそういう古着やスニーカーが好きな人たちがいて、ファッションに疎い僕に自作の「古着屋MAP」を作ってくれて、一緒に買い物をしたりした。当時は柏には古着屋が数多くあり、有名な所では「RED LION」という古着屋の前の通りは、店の名前を使って、通称「RED LION通り」と呼ばれるほどだった。行政も後押しして、市の広報に大学生の作った「古着屋MAP」が置かれ、観光スポットにも利用されていた。

 大学生になり、柏から離れても古着屋にはよく通った。ヴィンテージとか価値はよく分からないけど、古着屋の雰囲気が好きだった。しかし、ブームというものは去るもので、00年代に入ると街から古着屋が徐々に減り、UNIQLO、GAP、などの低価格の大型のフランチャイズ店がアパレル業界を席巻した。いわゆる「ファスト・ファッション」というやつだ。

 そんな時だ。大学卒業後、地元に帰り、たまたま教えられた古着屋に入ってみた。いきなり店員さんが話しかけてきてビックリした。だいたい古着屋の店員というのは寡黙な人が多いイメージだったからだ。そして生まれて初めてヴィンテージ・ジーンズを買った。生地が厚く、着ていると身体にしっくりくる。素材感、細かいディテール、ジーンズの持つ雰囲気。「面白いな」と思った。

 それからその古着屋には通い詰めた。一時期は店の中にある商品を全て把握していたほどだ(笑)それから定期的にその古着屋には通っている。自分にとって洋服を買うのは「小さな幸せ」であり、季節の変わり目の楽しみであり、古着屋のお兄さんのウンチクを聞くのがまた面白い。こんなに商品に対して情熱を持っている古着屋はそこしか知らない。洋服を洗濯したり、タンスの洋服を入れ替えたりしているのも楽しい。経年によって変化するからだ。古着と古着屋は楽しい。

憧れのD750

 僕には目標があった。いつかはフルサイズ機で写真を撮りたいという。デジタル一眼レフカメラには幾つか種類があり、上級者が使っているカメラがフルサイズ機である。理屈のところでいろいろ語れるほど、知識は無いので(笑)まあ、単純にイメージの中で憧れのカメラであった。それは自分の中で1年後とか先の未来の話であった、、、

 いつものようにおじさんにカメラの事をいろいろ教わっていた。その帰りに、ふと目に入ったD750 を触ってみた。明らかにD5500 と重量感が違った。見た目も機能もいろいろありそうだ、、、確かに重量感はあるが、フルサイズ機も小型化・軽量化されており、意外と持ちやすい。その頃、Twitter でプロの写真家さんとフォロー・フォロワーの関係になり、写真を見てくれたり、写真集を紹介してくれたりして、それらを見ていて「いい写真が撮りたい!」熱が、とても高まっている時期でもあった。

 正直、迷った。しかし、今のD5500 とD750 の使い分けは出来そうだとも思った。重たいレンズである 広角〜望遠ズームレンズを使うときはD5500 。軽いレンズの 単焦点、標準ズームレンズを使う場合はD750 で。気軽にお出かけの時はデジカメで。お金もなんとかなりそうだ。思い切っておじさんに相談した。おじさん曰く「D750 を使いなさい」と。腕を磨くには良いカメラを使いなさいと。その一言で決まった。

 D750 を手に入れてからは時間の許す限り、毎日のように写真を撮りに行くようにしている。「ここで挫折するわけにはいかない」という強い思いと、「カメラの奥深さ」の面白さとで。D5500 とD750 のガイド本も購入した。いろいろ分からないことは調べながらやっている。カメラをやっている友人からは「自分の足と手で写真を撮りに行くことが一番」だと言われたので、そのアドバイス通り、とにかく撮っている。その際、付けているのを忘れるくらい軽い 単焦点レンズを主に使っている。いくら軽量化されたと言ってもカメラとレンズは重たい。カメラは機動力勝負みたいなところがあるから、フットワークを軽くしたいという思いがある。

 使っていて、機能も少しずつ覚えてきた。とにかイジる。そして違いを体感する。そして感性の赴くままに写真を撮りまくる。よく撮れた写真はプリントアウトするようにしている。記念に残す意味合いもあるが、もう一度自分の目で確認したいからだ。D750  は最高のカメラである。自分の目標はそのカメラに応える腕を身につける事だ。楽しい勉強は苦ではない、喜びだ。

デジタル一眼レフカメラ 始めました。

 たまたま電気屋さんでカメラコーナーを何気なく眺めていたら、初心者〜中級者のモデルであるNIKON D5500 レンズキット が5万円台で発売されていた。「一眼レフカメラも値段が安くなったな。」と思った。そして、「あ、いいな」とも思った。その場で価格コムを見てみるとさらに安い。「大きい買い物だけど、やってみたい」という欲求が生まれた。値段交渉して、同時に単焦点レンズも購入した。まず、単焦点レンズで腕を磨こうと思った。ちょうど両方とも在庫切れで取り寄せてもらう事になった。

 1〜2週間後、念願の一眼レフカメラが届いた。持ってみると思ったより軽い。普段、デジカメでGRⅡ を使っているので、軽くて気軽に持ち運びができるカメラが僕の好みだ。まさにピッタリだった。実は僕は過去に一眼レフに挑戦して、挫折していた。その時は病気の波が大きく、精神的に辛い時期だった。そして引っ越しと共に手放した。引っ越しをして、一人暮らしにも慣れ、春になり何かを始めたい気持ちだったのかも知れない。ちょうどマンションの前が桜通り で、桜の季節。撮影するには絶好の環境だ。

 天気が良い日は桜通りを散策しながら撮影している。いろいろ自分で考え、工夫しながら撮影していると とても楽しい。上手く撮れた写真はSNS にUP したり、印刷して残してみたりしている。プロの写真家さんの本を眺めたりしてモチベーションを上げたりしている。

 カメラというのはただ指でシャッターを押せば誰でも撮れる。しかし、その写真にどれだけ情報量を込められるかが実に深い。光の加減なども考えながら撮ると とても面白い。そしてプロの写真家さんの写真と比べてみると全然違う。プロの写真家さんは「とんでもないな。」と思う。本当に尊敬の念を抱く。

 また、一眼レフの特徴としてレンズ交換が出来る。単焦点レンズ、標準ズームレンズ、広角から望遠までカバーするレンズ。これらを使い分けてみるのも面白い。

 僕がNIKONのカメラを選んだ理由は、電気屋さんにNIKONのメーカーの人がいて、そのおじさんがとても面白い人だったからだ。撮り方のテクニックから、カメラの選び方、レンズの特徴と選び方。全てそのおじさんから教わった。僕は心の中で「師匠」と呼んでいる。何度も通い、自分の撮った写真を見せてアドバイスをいただいている。「分からないことがあったら私のところに来なさい。全部教えてあげるから。」と言われている。僕はそのおじさんがいる限り、その電気屋さんでしかカメラを買う気はない。物を買うのではなく、「この人から買う」という気持ちだ。そのおじさんもまた「プロ」だ。

AppleTV の未来

 家族の集まるリビングの中心にあるものはTVである。生前、ジョブズは「リビングの中心にあるTVを変えたい」と言っていた。それは仮に「iTV」 と呼ばれていた。第四世代のAppleTV は 果たして「iTV」になっているのだろうか?答えは「否」である。

 ジョブズの思うところは想像するしかないが、僕の考えは「家族間のコミュニケーションのあり方の変革」であると思う。それに最も近いのが任天堂Wii である。Wii を中心に家族でワイワイしながらゲームを楽しむ。これが一つの理想形だった。しかし、個人がスマホを持つようになり、リビングにいながら個別になってしまっている。はたしてAppleTV は家族団欒の道具になり得るのか?

 僕のAppleTV の使い方は、AppleMusic をTVのスピーカーからかけながら、毎日 DL される自然や街の景色を眺める、という使い方をしている。主にリラックスの目的である。AppleTV には独自のOS である「tvOS」が採用されている。独自の「アプリ」の為に。そう、iPhoneiPad で成功した「アプリ」というアイテムがこれからのカギを握るだろう。

 tvOS のアプリはまだまだ少ない。ゲームの事は詳しくは分からないが、スマホをリモコン代わりにしてみんなでワイワイとゲームが出来たりしたら楽しそうだ。6月のWWDCでは、Apple の動画ストリーミング配信も噂されている。AppleTV には未来がある。

はじめてのPro

 最初は買う気なんて全然無かった。インターネットと電子書籍を読むだけなら、今までのもので充分だったし、何も不満が無かったからだ。新製品のスペックが「とんでもない」事になっているという噂を聞いても、特に惹かれなかった。いくらスペックが高くても3Dゲームとかやらないし、iPad は「iPhone の画面がデカくなっただけの製品」だと思っていたから。ちょうど、大画面のiPhone6s Plus に買い替えたばかりだったから、iPad さえ要らないと思い始めていたし。しかし、Apple の考えは そんなユーザーの考えの遥か上にあることを思い知った、、、

 Apple は一貫してスタイラスペンの導入を拒絶していた。それはジョブズの考えに基づくもので、画面を指で操作することを推奨していた。わざわざペンを使うひと手間を省略しており、それはApple Store で買い物をする時にも書きにくくても指で署名させられたりしている。しかしその掟は破られることになった、Apple Pencil という新たなデバイスの登場によって。

 Apple Pencil は精密なペンである。あるイラストレーターによると、紙に書くのと遜色ないくらいの書きやすさと精密さを持っているらしい。新しいiPad Pro にはSmart Keybord という一体型のキーボードも存在する。Appe Store で何回か試してみたが、最初は9.7インチのディスプレイ・サイズに合わせているため、少し打ちにくさはあったが、深くタイピングが出来ることにより、慣れれば違和感は無くなっていった。この2つの新しいデバイスにとても強く惹かれた。

 また、2つのアプリを同時に2画面で操作出来ることも大きかった。例えばインターネットを開きながらメモを取る事も出来た。ペンを使えば、まるで紙のノートに書き込んでいるのと同じだ。メールチェックしながら動画を見たり、4つのスピーカーから出る高音質の音楽を聴きながらインターネットしたり、SNSをしたり、様々な組み合わせが出来、なぜApple がハイ・スペックなiPad を作ったか理解した。

 僕はiPad Pro を買ってから下手くそながら絵を描いたりしている。子供の頃の落書きと一緒だ。誰かに見せる訳ではないので、自分が楽しければそれでいい。「表現とは自由である」という事を教えてくれるアイテムが、僕にとってiPad Pro だ。

はじめてのApple Watch

 僕は長いこと待っていた、Apple から革新的な新製品が発売されることを。いや、新製品はたくさん出ていた。iPhoneiPadMac、etc、、、しかしどれも旧製品の改良版に過ぎなかった。ジョブズ没 以降のApple からは新製品が長い間出ていなかった。そう、クック体制になってから。

 いや、クック批判をしたいわけではない。旧製品に革新的な機能を搭載させ、過去最高益を毎年叩き出し、Apple時価総額世界一の企業にしたのは彼の手腕の賜物だ。しかしユーザーとは恐ろしいもので、それでも「Apple らしい世の中を変える新製品を出して欲しい!!!」と強く願っていた。そして発売の日を迎えた。Apple Watch の。

 クックさん曰く「幼い頃からの夢だった」Apple Watch がプレス・カンファレンスの日を迎え、発売の日を日本でも迎えた。前日の夜から決めていた「始発の電車に乗ってApple Store に行く」事を。こんな時は寝坊なんてしないもので(笑)、作戦通り 始発でApple Store 表参道に到着した。既に3、4人並んでおり、待っているとStore のスタッフから整理券を配られ、一度 解散になった。代々木公園で時間を潰していたが、テンションMAX の僕は 販売予定よりかなり早い時間にStore に戻り、缶コーヒーで手を暖めながら(その日は春なのに寒かった)じっとStore の前で待っていた。販売予定の時間が近づくと人がわらわら集まり、なぜか僕が 列の先頭になっていた。

 そうこうしているうちに報道陣も集まり、先頭の僕にインタビューを始めた。僕は整理券番号5番だったが、TVや新聞に映りたい一心で、「ああ、インタビュー?いいですよ。」なんて答えていた。何社かインタビューに答え、これ幸いと 自分のApple愛 を熱く語った。人生でベスト3に入るくらい、気持ちの良い時間だった(笑)。

 そしてオープンして、ハイタッチで迎えられ、Apple Watch の試着をしたり機能の説明を受けたりした。販売はオンラインストアからのみとなっており(転売屋防止の為)日本時間の夕方から予約はスタートした。

 Apple Watch は腕時計である。機能的でシンプルで高級感のある。その良さを僕が語るのは蛇足であろう。このブログを見た皆さんも是非、Apple Store に足を運んで欲しい。そしてつけ心地の良さを感じて欲しい。Apple Watch のせいで、スイスの高級腕時計が売れなくなっているらしいが、それはしょうがない。高級腕時計というカテゴリーでは間違いなくNo,1 だろう。今春、エントリーモデルである、SPORTS が値下げされた。最も身近なコンピューターが。