ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

僕と秋葉原

 僕が初めて秋葉原に行ったのは高校生の時。パソコンを買いに行った。当時はまだインターネットは無く、WindowsもVer.3.1だった。今は無きラオックス・ザ・コンピューター館でPC-9821マルチを買った。当時はメイド喫茶なんて無く、女性が歩いているのも珍しく、昼飯を食うところもほとんど無く、今は無きアキハバラ・デパートで「アキバ・うどん」なる物を食べ、安いPCショップを巡るのがオタクの定番だった。昼飯にすらお金をかけず、ひたすら安いPCパーツを探し歩いた。Windows95の発売の街のお祭り騒ぎも今でもハッキリ覚えている。

 男臭い街で、女性を見かけることすら皆無で、まさに旧世代のオタクの街だった。00年代に入り、突如「メイド喫茶」なるものが現れた。それから「萌え」という言葉が生まれ、街も一変した。それからアニメ・ゲームの街になった。今では街に女性が歩いているのも普通になっているが、当時は女性がいる事も珍しく、女性慣れしてないオタク達が一気に虜になった。

 また、画期的だったのがつくばエクスプレスの開通だった。それに合わせるが如く、「ヨドバシ・アキバ」が出来た。そこからさらに街は加速していった。まさにブーム到来だった。その頃から街は観光客が増えていった。そして2010年代に入り、外国人観光客が爆発的に増えた。中国人が「爆買い」する風景も目の当たりにした。そして「事件」は起きた。加藤大による無差別殺人が起きた。

 その事件から秋葉原は変わった。今でも遺族の方の事を考えると胸が痛い。その事件から街は警察による監視下のもとになってしまった。「アキハバラ」ではなく「秋葉原」になってしまった。全てが監視下のもとにある街に。