ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

「小さな実験大学」の終わり。

 僕は東京の町田にある、和光大学という所を出た。当時、新設された表現学部表現文化学科に入学した。開設当初ということもあり、心理学者の岸田秀、マンガ編集者の大塚英志、評論家の切通理作、写真家の丸田祥三、文化研究者の上野俊哉、「元祖ヲタク」の野々村文宏などのサブカル好きにはたまらない教員が揃っていた。僕はハナから就職活動をする気は無かったから、大学は自分の好きな事を勉強したかった。

 友人が「この大学にはマンガ書いてるか、音楽やってるか、クスリやってるかしかいない。」という名言?を残していたが、実際には、こじんまりとしたのんびりした学校だった。どこにでもある普通の大学だった。僕は本を読むのが好きだったので、図書館に篭り、好きな文学を読み、元新聞記者の先生のゼミに入り、師事していた。特に物書きになりたいとは思っておらず、ただ好きな事をしていた。

 卒業も進路課には通わず、アイデムで見つけた 笑。有名な大学では無いので、人手不足の業界に入れば何処かしら雇ってくれるだろう、という安易な考えだった。その大学には昔は進路課は無く、「自分の事は自分でやれ」という校風だったらしい。僕はその校風が好きだった。しかし最近、学生の親の顔色を窺うが如く、やれ進路、就職に力を入れているらしい。その典型例が保育科の新設だ。僕はこれを知った時、創設者である梅根悟先生の「小さな実験大学」が終わってしまったと感じた。和光大学が時代の役割を終えてしまったのかも知れない。存続が目的ならばね、