ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

おカネ

 私には彼女に会いに行くためのタクシー代くらいしか興味はない。ましてや香港からセンター街へは行かない。九龍からNYまでも然り。というか私はタクシーが好きではない。が、無論 相対性理論は好きだ。

 結局、私はただそこにいるしか出来なかった。彼女に感謝される事はしていない。いつものようにただそこに佇んでるだけだ。その距離感が良いのか悪いのか分からない。大概において、私は自由気ままに生きている。

 私はコンビニのコーヒーを飲みながらタバコをふかして、サイフの中には小銭が入っていれば充分だ。それ以上のカネは大した意味を持たない。美味いものを一人で食べても味気ないモノだ。やはり誰かと共有したい。

 夜行バスの時刻表を眺めている。彼女の住んでいる街までは幾らで行けるのだろうか?きっと大丈夫。別に弱ってる訳ではない。ただ、そこにいる風景を見たいだけだ。誰かとすれ違うたびにそう思う。きっとこの空はその街まで繋がっている、という確かな思いだけで。

 きっと100点の解答なんて存在しない。私にしてはよくやったほうで、普通の人から見たら普通の事なんだろう。引き算よりも足し算のほうが好きだ。だって前向きじゃない⁉ 思い出すのは「ハングリーであれ、馬鹿であれ」私もそう願う。

 Stonesを聴きながらサンドイッチを食べる。考えることは彼女の事だ。それは全然悪い感触ではなく、冬の寒さを忘れさせてくれる。やはり私は冬が嫌いではない。彼女は言う「話を聞いてくれて、ありがとう」と。寧ろこっちがありがたい。私のほうこそ本当に嬉しい。

 私の投瓶通信は無駄なようで確かに海は繋がっていた。斎藤環の言うように海岸に綺麗な投瓶が返ってくるのを確かめながら。それは日常の些細な事でいい。些細な事で私は充分だ。このブログが誰かの投瓶になればいい。大切なのは諦めない事なのかも知れない。

 私はそう願う。