ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

精神科医との対話㉞

 彼女はPUNK。口癖は「冗談やないで!」だった。嫌いな奴には容赦なく「なついたるねん」だった。彼女らしい捻くれ方だった。私はそんな彼女が好きだった。学生時代、サークル仲間で千葉の御宿まで行った。

 先輩のクルマで行き、車内ではオリジナルのサザンのベスト・テープが流れていた。私は特に楽しいとは思わなかった。彼女もつまらなさそうな顔をしていた。大体において私は学生特有のノリについてゆけなかった。

 「苦しみの中にあるホンの些細な楽しみこそが、本当の楽しみだ」誰かがそう言っていた。労働と生活の間にあるものが本質なのだろう。私は本質が見たかった。大学卒業後、派遣労働者として各現場に回った。

 働いたカネで大学院に行き、研究をしたかった。専攻は社会学。その夢の為に年下に馬鹿だの使えないだの言われても苦痛ではなかった。彼女は市役所に勤めた。そこで左翼運動に手を染めた。

 その頃、彼女とは連絡を取り合っていなかったが、彼女が不健康な痩せ方をしてると知人から教えられた。だからと言って私には何も出来ないし、するつもりもなかった。私は私の人生があり、彼女は彼女の人生がある、という当たり前の事だった。

 26歳になり、念願の大学院に進学した。修士課程を終え、教授の勧めもあり、博士課程まで残った。毎日、論文と文献に追われていた。とても充実した日々だった。彼女の消息は途切れていた。

 新聞を読んでると、彼女の事が書いてあった。驚くと同時にその結末さえ想像できなかった。彼女は市役所を辞め、結婚したが育児に悩み、自分の子供を殺害した。殺人犯として彼女と再会した。

 しかし私は結局のところ、私の人生と彼女の人生は交わること無く、思い出の中であればいい。人生というものは大概において残酷なものだ。その新聞記事は焼いて捨てた。まるで要らなくなったラブレターを捨てるかの如く。