ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

戦時下における「幸福論」

 私は小学生の頃、宗田理の「ぼくらの7日間戦争」という本を読んだ。学生運動の小学生版、みたいな内容で、そこから読書にハマった。

 おかげで私は学生運動的なノリが嫌いではないので、そういう大学に入り、「せんそうはんたーーい!」などと叫んでみたりもした。

 まあ、そんなモノは現実には不可能であり、早々と運動からは手を引き、就職氷河期における正社員を目指し、福利厚生賞与月給の貰える介護の正社員になった。

 その経験はなかなか味のあるモノだったが、「もう二度とやりたくない」とこの私に思わせてくれるほどまでにはインパクトがあった。

 相変わらず本を読むことは続けていて、少なくてもパチンコにカネを費やす同僚よりかはマシ、という思い上がった考えをしてた時期もあった。

 現在も、スマホゲーの「ガチャ」をするのには興味が持てない。文庫本の580円でヒマを潰すほうが人生に於いて有意義だろうという考えは全く無くなったが、。

 ハッキリ言うと、鬱。ということだろう。私には最早、正月お盆クリスマスを楽しむ帰れる実家も無くなったし、まさに現実に突きつけられた。

 だから私は明日からの3連休を楽しむよりもむしろ、「早く職場に行きたい」という思いしか無い。友人恋人がいないのは親のせいではなく、無論私の人間性の問題だ。

 土日祝を働いてほしい職場があれば、税金さえかからなければ時給300円でも喜んでやりたい。税金かかるとケアマネに報告が必要なのよ、。

 ボランティアでも良い。なんならカネで無く、メシを食わせてくれる、でも有り難い。トテモクリーンナクニネニホンハ。

 流石に、ここまで社会から必要とされていないとなると悲しい。が、嘆き悲しんでいても状況は変わらない。が、じゃあ、どうすれば良い?

 やっぱり本でも読むしかないかなー。TVゲームも下手くそだし。基本的に私はあまり頭が良くない、から。日本語読めれば読書は出来る。

 人生における後悔、というものがあるとするなら、中高の頃に部活をしたかったなー、という事だ。通学片道3時間では無理でした。

 それを親に詰ることは、後出しジャンケン的であまり良くないが。でも、「今からでも遅くない!」って言われた時は、流石に無力感を感じた(笑)。

 そう、「今からでは遅いんです」という事だ。ジャガー横田協会的な考えをする、ウチの両親でしたが、時代は令和なのです。

 まあ、正直、ジャガー横田さんの気持ちも分からなくもない。親バカ、なのだろう。不幸な関係の。ウチの親ときっと話が合う、と思われる。

 だから息子さんに私がここから言えるのは、「本を読め」という事だ。物理的心理的社会的にも束縛されてもなお、紙の上は「白紙」なのだから。