「私は男たちの言葉で出来ている」と言ったのは、社会学者であり小説家の鈴木涼美さんである。「上野千鶴子」の後継者。
「女は存在しない」という言葉の真の意味は、生物学的なものではなく、社会的なものだ。サッチャーも小池百合子も「男性的」だし。
果たして令和のこの時代にもやはり、「女は存在しない」のか⁉。答えは簡単すぎる。今の時代はわかり易すぎるくらいにラカンの理論が通用する。
それは日本に限った話ではない。PC(ポリティカル・コレクトネス)が発達している欧米こそ顕著である証左である。
「ジェンダーを語るなら、ラカンを読め!」が唯一の正解である。「本を噛む」作業がそこには必要になる。と思う。