ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

小説「針を落とす」

 知り合いのオナニーを見るほど気持ちの悪いものはない。ま、本人が楽しければそれでいい。私は他人には口出ししない主義だ。

 季節は春から梅雨に変わろうとしている。梅雨の雨は鬱陶しいが、彼女からのメールはもっと鬱陶しい。お互い、もう終わった事なのに。

 彼女がどんどん醜くなっていく様は、面白いが、なかなかに悲しいものがある。正直。このまま彼女は時間をかけて醜くなり、次第に誰からも相手されなくなる。

 よくある話である。だから驚きもしないが、彼女は若く、まだその事を知らないだけだ。悪いのは誰でもない。それは確かだ。

 商品価値の無くなった彼女のことを考えると、私はどうやら嬉しいらしい。既に失われつつあることも彼女はきっと気付いている。

 私の毒は浄化され、このまま海に流れていく。その向こう側に彼女はいない。そう、彼女は一生、檻の中で暮らしているのだから。

 

小説「檻の中の子供」

 少なくとも私には私の生活や人生があり、彼女には彼女の考え方や生き方がある。ただそれだけの事だった。それは埋まられないものだ。

 人生には仕方がない、ということがあり、今回の件がまさにこれで、努力とか運とか、ましてや時間でも解決は不可能だった。

 私はそれを残念に思うが、まあ納得はしている。差し当たって、資格の勉強や散歩などの体力づくりは私はやらなければならないからだ。

 作業所も6月には卒業して、次のステップが待っている。それを当面の目標にしたい。今出来ることをしっかりやるだけだ。

 2年後には友人と大きな事業もやる可能性が現実味を帯びてきた。それまでに気力・体力の充実を図る。私の時計は動いている。

 日が経つにつれ、彼女のことはどうでも良くなってきた。よくある恋愛話の一つである。それ以上でも以下でもない。さようなら、さようなら。

 自分の中の冷めている部分が、この熱を冷ましてくれる。今年の4月は半ばを過ぎてしまったが、傷が癒えるのにさほど時間は掛からなかった。

 自分の状況や置かれている環境を冷静に見れなければ、物事の本質は見えてこない。残念ながら、彼女にはそれが出来なかったし、おそらく目をそむけているのだろう。

 本人が幸せならば、文句は言うつもりはない。彼女は失うものの大きさが分かっていなかったし、分かっていたとしても、ひょっとしたらどうしようも出来ないのかも知れないが。

 彼女にとって私という存在はどういう存在だったか考えてみても、知りようがないし、少なくとも私の中で彼女は薄れつつある存在である。

 まあ、私はこのまま彼女が不幸になって欲しいなと思うくらいは人間的だし、彼女の卑怯さにはウンザリはしている。所詮、他人事。

 彼女から笑顔はなくなり、美しさはどんどん失われ、しだいに歳を取り、商品価値すらなくなるだろう。それが彼女の辿る末路である。

 その時、一体、彼女のそばには誰がいてやれるのだろうか?

 

借金返済完了しました。

 が、どうも虚しい。理由は分かっている。他の女性のことを考えてもどうもダメだ。やはり私は彼女のことを愛しているのだ。

 まあ、と言っても私には最早、何も出来ないが。久しぶりに彼女からメールが来た。とても嬉しかったし、ホッとした。

 私も苦しかったのだが、彼女もまた苦しかったんだね。やっぱり私は彼女のことを信じたいし、信じているのだ。

 別に付き合えなくてもいい。都合の良い男で利用してくれても構わない。でも、彼女が生きて、幸せでいてくれたら、私は嬉しい。

日記。

 部屋の掃除をして、ランチを食べに行って、マンガを読んで、アパートに帰り着替えて、床屋に行き、まあ人間的なことをして寝る。

 どうにも不毛な1日だ。失恋の傷はまあまあ癒えてきたが、深いところではまだダメだ。プレイリストで久々にYUKIの曲を聴いたりした。

 私はいつも一人だが、一人行動にはいつまでも慣れはしない。出来れば誰かがそばにいて欲しいと思うし、一人飯は美味しくない。

 最近はデジモノに頓と興味がない。新しいガジェットは発売されるが、ワクワクするものは皆無だ。私が歳を取ってしまったせいだろうか?

 マンガも古いものばかり読んでるし、どうも時代についていけていない。鬼滅も読んでないし。読んでないから面白いかどうかも分からない。

 夜は暇だから「ドライブ・マイ・カー」を観に行きたい。上映していたら。村上春樹原作、というのは全く惹かれないが。

 村上春樹は初期三部作が一番好きです。「羊」「ダンス・ダンス・ダンス」あとナントカ。最近、SIMI LAB を聴き直そうかと思っている。

 まあまあ復活しつつあるが、空元気であるのは間違いない。90年代的気分を引きずったままの中年はそんな感じ、である。

 もう四半世紀経つのだが、世の中は大きく変わった。人々は物理的心理的社会的に距離を取るのに慣れすぎてしまい、コミュニケーション不全が至るところで起きている。

 電車に乗れば、人々はみんなスマホをいじり、つまんなそうな顔をしている。ゲームしてんのかSNSしてのか、エロサイトみてんのか、そんな事すら興味を持たずに。

 まーーー失恋、というのは辛いですな、マジで。また厄介なことに40過ぎての失恋が、10代の頃の失恋とさほど変わりない、という私の精神構造は問題だ。

 ヒマだからバイトしようかな?とか思ってるし。10代の頃と全く変わりがない。恐ろしいことに(笑)。おい、おい、という感じである。

 そういう意味では恋愛は飽きない。再現性のないドラマであるからして、いかなる脚本家も私のこの先のことは書きようがない。 

 

 

失われた風景。

 まあ、いつものように失恋した。自分はカネを生み出せないヤツだから仕方ない。彼女を幸せにする自信はあったが、どうも時間が間に合わない。

 結局は、交わらない人生だった、ということしか出来ない。私の立っている交差点は誰かは通るが、いつも私は傍観者だ。

 2022年、という事をよく考える。考えても何も生み出さないが、少なくとも退屈まぎれにはなる。しかも無料で。そう、頭の中はカネがかからない。

 私の思考はそんなに的外れではないだろうが、それを他人に説明して議論しても今どきの大学生も白け顔だ。就職活動、頑張って、としか言えない。

 大学は就職の予備校に成り下がり、ロックは戦争には何の意味も無かった。文学は人生には必要ではなく、人々は内向的になっている。

 最近は、漫画でも読もうか?と思うようになってきた。少なくとも日本には良質の漫画があり、それを読むのは悪くない。

 差し当たっては、松本大洋の「花男」「鉄コン筋クリート」なんかは何度読んでも面白い。家族愛や、街への愛着がそこにはある。

 同時に阿部和重の「シンセミア」も読み直している。歴史を振り返るのは悪くない(J文学をそう呼ぶのはいささか気が引けるが)。

 ま、自分も内向的にさせて下さい。失恋したから。どうしてそんなに好きだったかは特に理由はない。私は今でも彼女を信じてるし、彼女には幸せになって欲しい。

 どうもタバコの本数が増えていけない。飯はもちろん喉を通らないが、食わないと死んでしまうし。刺身とか食ってます。

 酒は元来、飲まない。好きではないし。そんなモノにカネは使いたくない。私は彼女のためになら、何でもしたかったし、何でも出来た。

 失うことは怖くはなかったが、寂しさを埋める作業はなかなか面倒くさくて嫌になる。楽しい事をかんがえたいが、どうもダメだ。

 自分にとって楽しかったのは彼女との思い出だし、それ以上のものはこの世にはない。あってたまるか。という気分である(やさぐれている)。

 自分の不器用さ、人付き合いの苦手さ、が時々損をしてる気分になるが、器用な人も損した気分になるだろう。どっちもどっち。

 おそらく母親が亡くなったら、私は一人で犬でも飼って、愛情を注いでやりたい。まあ、犬は嫌いだ。空想の世界だ、全て。

 退屈しのぎに、来週は借金を全額返済して、余ったカネで旅行でも行きたい。一人旅なんて嫌いだが、相手がいないので仕方ない。

何故、アジカンは2022年にアルバムを発表するのか?

 世界にコロナが蔓延し、ロシアとウクライナでは正義のない戦争が行われている。はたしてそこに「音楽の徴候」は見つけられるのだろうか?

 先の見えない閉塞感が、そこにはあり、人々はまるで宗教のようにアニメと漫画に没頭する。マジで終わってる、日本は。

 「人生に文学を」と言っても誰も小説なんて読まないし、何なら本屋なんて何処も潰れていて、まともな本なんて売っやしない。

 他人に依存することしか考えてない人々は、会社に依存し、仕事に依存し、子育てに依存する。そこには精神的余裕なんてなくて、ただ疲弊してゆく。

 そんな世界にはたして「音楽の力」なんて無力だ、ということがあからさまに証明されてしまっている。そこにこのアルバムである。

 今どき、「作品」であるアルバム制作に意味はあるのか?ストリーミングで消費されている音楽業界に於いて、それがまだ有効なのだろうか?

 一曲一曲が意味を持つ。ただキャッチーであれば良い、という現代のポップスに於いて、真逆の方向へ向かっているこのアルバム。

 私は生活には、タバコ代とカツカレーとカフェラテがあれば充分な人間である。本当の幸せ、を見せてくれると、川尻こだまは言ったが、はたしてそうなのだろう。

 私には本物の音楽は「栗山夕璃」で充分で、最早そこに入り込む余地はない。カネの掛からないアニメばかりではツマラナイ。

 そんな時代にロックなんて形骸化され、「愛と平和」は何の意味もなかった。ジョン・レノンは死んだし、街は綺麗になりすぎた。

 私にとって初めての親からの自立は、まあまあ上手くいったり、失敗もあったり。つまり順調である、ということだ。

 西村賢太は「女はカネで買うもの」という名言を残し、幸せに死んでいった。私は酒は飲まないから、どうでもいいが。

 このアルバムはコロナ禍において、はたしてまだ「音楽が有効性を持っているか?」という実験めいたものがある。それを私は愛とは呼ばない。

 

 

小説「プログラミング・ガール」最終回

 だんだん面倒くさくなってきた。この計画に。私には私の生活があるし。そこを侵してまでこのくだらない計画を遂行する意味はない。

 私の仕事はフリーのライターだ。といっても「◯◯レストランをオススメする10の理由」だの。「今、流行りの腸活サイトはこれだ!」とか、そんな記事を書いている。

 上司である、編集部のデスクはこう言う。「これからは婚活男子だよ。カネを生むのは」と。やれやれ、と思うね。マジで。

 

終わり。