電脳空間

つれづれなる事を書いています。

父親の話

今週のお題「受験」

 

 うちの父親は小学校の校長先生だった。まあ、厳しい人でしたね。自分にも他人にも。学校の先生の子供というのは「勉強して当たり前」みたいな空気感が家庭に漂っており、まあ、居心地の悪いこと(笑)。父親の母親、つまりぼくのお婆ちゃんという人はぼくが生まれた頃には亡くなっており、生前は産婆さんをしていたらしい。今で言うところの産婦人科医ですね。だから父親は「医者になれ!」と言われていたらしい。しかし、あまり学校の成績が良くなかったらしい。うちのお爺ちゃんは優しい人で、一緒になって成績が悪い事を慰めてくれてたらしい。

 だから学歴コンプレックスがあったらしい。出身大学は中堅私大で決して勉強がそこまで出来なかった訳ではないが、いつも自分の事を「バカだ。」と口癖のように言っていた。だから仕事は頑張った。努力の人ですね。朝は午前3時から起きて、学校の資料作りをしていた。午前5時には家を出て、職場に向かった。そんな父親を嫌いな面はあったが、同時に尊敬していた。

 うちは田舎だったから、周りで中学受験なんてする人はいなかったが、うちの父親は塾に通わせ、半ば強引に受験させた。まあ、僕自身、勉強は嫌いではなかったが、塾に行くより友達と遊びたかったし、父親の暑苦しさが面倒臭かった(笑)。第一志望は高熱を出して受験出来なかったのが悔しかった。が、まあ僕的にはどこでもよかった。だいたい学校なんてみんな同じだろうと思っていた。

 中高一貫の学校でまあまあのんびりしていた。大学はエスカレーター式に上がれるからそれでよかった。一冊の本に出会うまでは。その本は社会からドロップアウトし、バックパッカーとして自由に生きる本だった。「いかん!」と思ったね。親の敷いたレールの上を歩くのは。やはりここは僕もドロップアウトし、自由に生きなければと思った。そして推薦の話を蹴り、浪人して、予備校に通った。予備校は楽しかった。よりレベルの高い話が聞けるし、本を読む時間もあった。

 センター試験で「国語Ⅰ」と「国語Ⅰ・Ⅱ」を間違えて(笑)第一志望は落ちた。が、まあ面白そうな大学には入れた。よく考えてみると不運続きの受験人生だったが、入った学校で頑張ればいいので、落ちたところで大した差はない。受験生の諸君に言いたい「学問の扉は自由の扉だ。」第一志望に落ちても大丈夫、君は努力したんだから。努力は嘘をつかない。