ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

はっきり言ってねー、

 「表現者」なんてカッコいいものではない。ただ、それをせざるを得ない初期衝動こそが全てである。ある意味では「異常行動」である。それを芸術に昇華出来るか否かは「技術」である。写真家の蜷川実花さんが言っていたが「変人扱いされないようでは良い写真なんて撮れない。」と。周りの好奇の目を気にせず、ただ純粋に自分の思い通りの写真を撮る。それは決してカッコいい行動ではない。

 はっきり言おう私は「世界を変える動画が撮りたい」この野望しかない。カネ?広告?ヒカキン?ダサいね。セイキン?もっとダサいね。私は「世界一のYouTuber」になりたい。ピコ太郎さんみたいに。彼はねー、Coolだよ。だってあんな動画は無かったからね。「世界に無いものを作りたい」それには「技術」「アイデア」「欲望」である。あ、ヒカキンさんの動画は勉強のために見てます。チャンネル登録もしてます。

 決してヒカキンさん、セイキンさんを否定したいわけでは無いです。ただ彼らはTVタレントとしても成功しただろう、という点です。そう、彼らの動画はTV的なのです。私が撮りたい動画は「良い動画」でなくて「世の中に無かった動画」なのです。だから「技術」を学びたい。ヒカキンさんの動画は一つの指標である。「視聴者に受けるにはどうすればいいか?」「どんな演出が良いか?」「どんなテクニックが有効か?」今はそれを勉強している。