楽しい時間を過ごした後は、なかなか眠れないものである。その高揚が残った残滓が、私は嫌いではない。無理に寝る必要はないし。
高ぶるなかれ、落ち込むなかれ。とは思うが、人間なもので、そういう時間も時には必要。だと個人的には思っている。
私は人生で起こる、全ての事柄が「治療」だと思っている。それが正しいか、間違いかは分からないが、。ちょっとでも「マシな人生にしたい」という欲なのかも⁉
ハッキリ言って、欠点だらけの人間だ。今まで生きてきたのも、周りの心ある人の支えの中で、なんとか生きてきた。
後悔はあまり無いかな⁉。明日死んでも構わない、という生き方をしてきた。これからもそうありたい。まあ、借金を返すまでは死ねない(笑)。
ジョブズは「死」を終着点にしていたが、少なくとも私の中では、ジョブズは「生きている」し、Apple 製品を買う理由の最も大きなファクターだ。
それはまるで、自分の好きな芸術家の絵を買う、という行為に似ているかも知れない。ティム・クックCEO はとても良く、それを理解している。
Apple というブランドの資産を活かし、時に大胆に、時にジョブズ的に。非常に計算され尽くした彼の戦略は正しいものだと、マーケットは理解し、世界最高時価を記録している。
私はApple はカッコイイと思わない。非常に泥臭く・苛烈な競争をしている。パソコンもスマホも、所詮、道具に過ぎない。が、時にそれを魔法のようにする魅力。
そんなモノがApple の文化の中にある。「馬鹿であれ、貪欲であれ」と。プラス徹底された在庫管理・シビアな数字と、プロダクトの流用・汎用性。それが加わった。
そう、少なくともジョブズは、Apple の中で「生きている」と。だから私も、「死んだ後に残る何か⁉」を模索している。それはきっと他者との関わりから見えてくるのだろう。
「作品」と呼べる人生。カネはあまり関係ない。私の中の「ドロドロしたもの」を一段、上に上げるのが「技術」なら、習うのではなく、書物や映画と格闘したい。
まるで、初恋の人に書く、ラブレターのように取り留めの無い文章になってしまった。というか、私の書く文章は全てラブレターだ。All Need is Love 。