ななこ♂の部屋

小説「プログラミング・ガール」を書いています。

気分転換(と、私のしたい仕事論)

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 センターの頃の友人と、時間が合えばオンラインでこのゲームをしている。なかなか面白い。いろんなゲームが入っていて飽きない。

 その友人とLINE で今のセンターの様子を聞いたり、懐かしい話をしたりしている。そのセンターは私にとって謂わば「学校」だった。

 あまり幸福とは言えない学生生活を送った私にとって、そこの時間の全てが楽しかった。「第二の青春」とも呼ぶべき時間だった。

 そこではその人の「特性」というか「個性」を尊重し、スタッフはじめ利用者もいじめ的なものは無かった。

 別に仲良し、という訳ではないが、みんな訳があり、そこを利用し、そこには最低限のルールしかなかった。

 これはとても難しいことで、ルールを作ってしまえば簡単だが、敢えてそこでは最低限に留め、自主性に任せていた。

 「ノーマライゼーション」という言葉がある。これは、「個人を社会に合わせるのではなく、その人に合った環境づくりをする」という意味だ。

 「個人」が「ノーマル」なのではない。「環境」が「ノーマル」になるのだ。これは学校教育とは真逆の発想である。

 学校教育が「個人の社会化」を目的にしているのに対し、「ありのままの個人を受け入れる」というものだ。

 それが福祉の発想であり、それに依り、個人個人の「社会人スキル」というか、生き方が模索されていく。そこの答えは就労ではない。

 それをサポートするのがワーカーさんの仕事であり、数字を追いかけるサラリーマンとは大きく異る点だ。

 それは「社会福祉」という税金に依って賄われるものであるからして、正直、あまりエラそうな事は言えない。

 が、少なくとも「社会の歯車」からこぼれ落ちる人はいて、「社会の公器」としての営利目的の会社の副産物でもある。

 「引きこもり」「鬱」「発達障害」など増えており。また、「幼児虐待」「ネグレクト」「いじめ」などもある。

 それを税金で賄っていくのには限界があるし、ある種、新しい役割の「NPO法人」という会社システムが大きな役割を担っていくだろう。

 マンパワーに頼ることが大きな仕事である。それには、「社会人能力」という言葉はそぐわない。「社会不適応者能力」とも言うべき、「ピア」の精神がそこにはある。

 精神科医斎藤環は「胸を張って脛をかじれ」と言っていた。私は「胸を張って税金泥棒」と呼ばれたい。

 この生き難い世の中を少しでもマシにしたい、という思いがある。私はそういう仕事がしたい。おそらく税金は今後上がっていくだろう。

 そうなると世の中は大きく変わる。「経済」という生き物が老衰している今、「カネ儲け」よりも大切なものが重要視される。